カルタゴ 2006 6 29
カルタゴについて、読みやすく書かれた本はないかと思っていたら、
このような本を発見したのです。
「ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書」 PHP文庫
著者 森本 哲郎
カルタゴ 2006 6 16
なぜ、最近の経済現象を、「拝金主義」や「金の亡者」と批判するのか。
それには、理由があります。
経済だけ発展して、いや、もっと極端なことを言えば、
金儲けだけ専念し、文化や文明が低い国があったとしたら、どうなるか。
はるか昔、地中海には、金儲けの上手な国がありました。
この国の名前は、歴史に残りましたが、
よい印象ではなく、悪い印象として記憶に残っているでしょう。
ノブレス・オブリージュ noblesse oblige 2005 3 16
「ノブレス・オブリージュ」とは、フランス語で、
「高い身分に伴う義務」と訳されます。
これは、権力を得て、富も享受できる者にとっての「最高の名誉」とは、
社会の発展のために、私財を投ずることであるという意味に近いと思います。
これが、「本当の貴族」です。
なぜ、この言葉を思いついたのか。
それは、週末、世相を知るために、テレビを見たり、雑誌を見て、そう思ったのです。
テレビや雑誌には、リッチな生活とか、セレブとか、
まるで貴族にあこがれているような特集が目立ちます。
しかし、「貴族」と「拝金主義者」は、違います。
ノブレス・オブリージュがあってこそ、貴族と言えるのです。
ノブレス・オブリージュがない人たちは、単なる拝金主義者です。
知人から、こんな話を聞きました。
あるオーケストラの楽団員は、楽団から支給される給料では食べていけず、
音楽とは、とうてい関係のない分野のアルバイトで、日々の生活の糧を得ているそうです。
かつて、日本は、そして日本人は、
極めて精神性の高い国、あるいは極めて精神性の高い民族として、
諸外国に紹介されていた時もあるのです。
今の日本は、そして日本人は、
拝金主義の国家、あるいは拝金主義者になってしまったのか。
アメリカには、カーネギーという人がいました。
「信託基金を設け、図書館、大学、研究所などを設ける。」
こういう人が、アメリカ発展の基礎を作ったのです。
カーネギーは、立身出世の典型的なヒーローでしょうが、
同時に、カーネギーには、キリスト教精神が生きていたと思います。
さて、資本主義から、キリスト教精神が抜け落ちると、どうなるか。
それは、お金の「収奪システム」となります。
キリスト教精神のない資本主義は、お金の「収奪システム」に過ぎないのです。